難波裕美のひとり言

難波裕美

頌栄企画 マネージャー

難波 裕美

  • ・日本長老教会 杉並教会員
  • ・厚生労働省認定葬祭ディレクター
難波裕美のひとり言
そばにいるよ
エンバーミング
どら焼
葬儀後
納得できない
女性同士
過去のアーカイブ

難波裕美のひとり言

母一人娘一人

『何をどうしたら良いのか分からないんです!』慌てた様子の若い女性からの電話でした。
病院の先生に『お母様は後一週間位しかもたないでしょう。』そう言われたそうです。
そして、近所の葬儀社に電話をし相談をしたら、祭壇を飾らなくちゃ駄目・戒名を付けなくちゃ駄目・お経をあげてもらわなくちゃ駄目、天国には行けません よ。お墓も買わなくちゃ駄目ですよ。等々葬儀社の方は、お嬢さんの気持ちを一つも組んでくれず、何もかも押し付けてきたそうです。
とにかくお嬢さんは、『何もしなくて良いんです。ただ母の傍に居るだけで良いんです。ただただ母の傍に居られば...。』涙ながらにそうおっしゃいました。
近所の葬儀社に色々言われ、お嬢さんは葬儀社に対し不信感を持ってしまったようでした。お母様が亡くなった時の事を色々心配なさっているのですが、私の説明に耳を傾けてはくれず(お母様の死を宣告され、話を聞く余裕が無かったのだとも思います)少しパニック状態でした。
私は"葬儀の話はせず、今はお嬢さんの気持ちを充分に聞いてあげよう"そう思いました。そしてカウンセリング(そんなに立派なものではありませんが...)の ような感じに段々となっていきました。"とにかくお嬢さんがしっかりしなくちゃ駄目ですよ。お母様だって頑張ってらっしゃるんですから。"どれくらい話を したでしょうか?最後は落ち着いた様子で『もし母が亡くなったら、難波さんに電話をすれば良いんですね。』そうおっしゃって電話を切りました。

数日後、お嬢さんから『母が亡くなりました。』と、連絡が入りました。
この時はある程度の情報が必要になってくるので、私は問いかけました。ですが、最初の相談の電話の時とは比べようが無い程、パニック状態でした。大切な家 族が亡くなったのですから当然です。どの方からお電話を頂いても同じです。しかし私達はその時ばかりは、冷静に確実に必要な事柄をお聞きしなくてはなりま せん。
電話を切った後、準備をしていると電話が鳴りました。お嬢さんからでしたが、益々パニック状態でおりました。『大丈夫です!これから病院に向かいますか ら!しっかりして下さい!』私は少し妹を叱るような強い口調で言いました。本来有り得ない事ですが、言い聞かせなくてはならない状態でした。病院に行くま でに何度も何度も電話でやり取りをしました。その都度、私はお嬢さんに対して叱るような口調でした。ですが今はこうする事が、お嬢さんに対しての私の適切 な接し方だと思いました。
私は病院に着き、先ず看護師さんに『すみません、少し話をさせて頂けますか?』そうお願いをしました。看護師さんは直ぐに察して下さり、私を病室に入れ、 病室から出てドアを閉めて下さいました。病室でお会いし、お嬢さんは少し落ち着きを取り戻し、私の話に耳を傾けて下さいました。そして、お母様と共に病室 を後にしました。 御自宅までお送りする車内で、お嬢さんとの距離が縮みました。

お式当日、お嬢さんはお母様の傍にずっとおられ、私にお母様との思い出を沢山話して下さいました。そして、お母様が女手一つで自分を必死に育てくれた事に、とても感謝をしていました。

親戚付き合いが全く無く、葬儀に参列された事も一度も無く"葬儀"に関しての知識が全く無かったと、お嬢さんはおっしゃっていました。この先、一人っ子・親戚付き合いが無い・近所付き合いが無い、こういった方が増えるでしょう。
自分達の大切な御家族が亡くなられたら、その方が生きて来られた人生の最後に心から感謝をし、心を込めて送って欲しい...そう思っております。そして、命の尊さ重さを充分に分かって欲しい。
何も分からないからといって、葬儀社が押し付ける葬儀は許せません。
私達は出来る限り沢山の事柄を御提案し、全てを惜しまずに、心を込めてお手伝いして行きたいと思っております。
そして今、日本は宗教離れが進んでいます。私は、宗教をも大切にして行くべきではないかと思っております。
<< 前の記事「街頭掃除 」   次の記事「 女性同士」 >>