難波裕美のひとり言

難波裕美

頌栄企画 マネージャー

難波 裕美

  • ・日本長老教会 杉並教会員
  • ・厚生労働省認定葬祭ディレクター
難波裕美のひとり言
そばにいるよ
エンバーミング
どら焼
葬儀後
納得できない
女性同士
過去のアーカイブ

難波裕美のひとり言

熱中時代

先日、学校の先生をなさっていた方のお別れ会がございました。
お別れ会の約一ヵ月前に、ご家族のみで葬儀を済まされていたのですが、後々沢山の方からの要望があり"お別れ会"を行なう事となりました。
お別れ会当日は、大変多くの方が足を運んでくださいました。
お別れ会の一部は式で、二部は茶話会とし、茶話会では多くの方が先生の思い出を語って下さいました。 先生が新任として学校に来られた時、とても爽やかで格好が良くて、女子生徒の憧れの的だったお話。先生が結婚する事になり、相手のことがとても気になり、 他校の先生であった奥様をその学校まで見に行ったお話。結婚式に出席された同僚の方は、結婚式の誓約の時に"牧師さんから色々誓いを受けてるけど、そんな に誓ってしまって彼は本当に大丈夫なのだろうか...?"と心底心配したそうです。
そして、 授業を全員でボイコットしたお話。
先生に叱られて学級日誌を破ってしまったお話。そして、その方は先生から『この日誌はお前が持っていろ!』と言われたそうです。『30年間、先生に言われ た事を忠実に守っていました。』とおっしゃりながら、その方の鞄の中から、破れかけの日誌が出てきた時には、場内がどよめき、一同がその日誌に釘付けとな りました。
それから、バスケ部の顧問をなさっていた先生はとても厳しく、シュートが入らないと竹刀でお尻を叩いたりしたそうです。今では、竹刀でお尻を叩いたりしたら、一大事ですよね。
でも、あの頃の先生と生徒は、深い深い絆でしっかりと結ばれていたのです。県大会を目指して、先生と生徒が一丸となり頑張っていた様子が目に浮かびまし た。私も学生時代、スポーツに明け暮れ、一年365日のうち360日は休みなく練習の日々でした。その時は"あ~休みたいな...疲れたな...もう嫌だ辞めた い..."とか色々思いましたが、今はあの時に乗り越えた厳しさや我慢強さが、日々の生活の中で本当に役に立っていると思い、感謝をしています。
"根性"とか"忍耐"とかの言葉が、一昔前の言葉に感じる様な今日この頃ですが...。 
生徒さんが『先生を県大会に連れて行ってあげられなくて、本当にごめんなさい。』と、そして先生は『お前達を県大会に連れて行ってやれなくてごめんな。』と。
先生は県大会を目指して、髭を剃らなかったそうです。願掛けをされていたそうです。
そして彼女達が卒業式の日『お前達の卒業式だからな、綺麗にしなくちゃな。』とおっしゃり、髭を剃って来られたそうです。
お休みの日には、先生のお宅に遊びに行ったり...本当に沢山の先生との思い出を、多くの方が涙ながらに語って下さいました。
今年に入り、同窓会があったそうです。しかし先生は体調が悪く、参加が出来なかったそうでした。
後日、同窓会の写真を持ち、先生のお宅に遊びに行きました。先生は懐かしそうに嬉しそうに『なんだ○○は随分おじさんになったな~頭が薄くなったな~○○ は太ったな~』等など、少しの時間ではありましたが、若かったあの時に戻ったような時間が流れました。先生は、あまり体調が良く無かったのですが、帰りぎ わに『俺が作ったカレーだ!美味いぞ~持って帰れ!』と言い、カレーを持たしてくださったそうです。
先生はきっと、生徒達が明日訪ねてくるからと思い、体調が悪いにもかかわらず、前日、生徒達の為に一生懸命作ってくださったんだと思います。先生のそのお姿が目に浮かびました。
なんて幸せな生徒達なんだろう。とても羨ましく思いました。
ですが、残念なことに先生とお会いできたのは、その日が最後となってしまいました。
先生が最後に作ってくださったカレーの味は、一生忘れることの出来ない最高の味だったことでしょう。
あの時代に教師であったこと、そして生徒であったことは本当に幸せなことだと思います。
先生と生徒が、何かに熱中できた、そんな時代がとても懐かしく、そして嬉しく思い、自分も学生時代に戻ってしまいました。

沢山の感動を分けて頂けた、そんな一日でした。
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