難波裕美のひとり言

難波裕美

頌栄企画 マネージャー

難波 裕美

  • ・日本長老教会 杉並教会員
  • ・厚生労働省認定葬祭ディレクター
難波裕美のひとり言
そばにいるよ
エンバーミング
どら焼
葬儀後
納得できない
女性同士
過去のアーカイブ

難波裕美のひとり言

キリスト教との出会い

葬儀の仕事を続けて、10年が過ぎました。
私は、この10年の途中でキリスト教に出会い、そして導かれました。
初めは、ただ、「キリスト教の葬儀は綺麗で良いなぁ」...それくらいの思いでした。
しかし、折に触れキリスト教の葬儀に携わっていく中で、他の宗教と違った良さを感じるようになりまいした。 先生方のメッセージを葬儀のたびに聞くことができ、教会員の方と接する機会も増え、心から接してくださる温かさを感じました。

  葬儀というと、開式と同時にお焼香をして直ぐに帰ってしまう、そんな葬儀に慣れていた私の目には、キリスト教の葬儀は会堂に集まった方々みんなで、賛美歌を歌い、最後まで参列していることの素晴しさと驚きが映りました。

  例えば、教会員の方が具合が悪くなったり、危篤になった場合、どんなに夜遅くても先生は駆けつけてくださいます。他の宗教では、亡くなったとしても病院に 駆けつけてくださるといったことはありません。教会員の方との密接な繋がり、信頼関係、悩みや苦しみを共にしてくださいます。そして、クリスチャンでない 私を受け入れてくださり、話を聞いてくださいました。

 他の宗教に携わっているからこそ、 本当にキリスト教は素晴しいのだと思えるのです。 "良いもの"とは、良いものだけでは分かりません。比較するものがあるからこそ、良いものだと分かるのではないでしょうか。
  私が洗礼を受けた時、杉並教会の方は勿論、ほかの教派の多くの方も私にたくさんの祝福のお言葉をくださいました。他の宗教と違い、閉鎖的なところがないのです。
 志は全て、イエス・キリストの十字架のもとにあるという凄さを感じました。
<< 前の記事「はじめまして」   次の記事「葬儀がおわっても」 >>